ヨガ哲学

シュリ・アーナンダマイー・マーから学ぶ私と私ではないもの

 

こんにちは、ゆきです。

シュリ・アーナンダマイー・マーについて。

ヨガを深めている皆さんは、ご存知なのでしょうか?

ここ最近、続けざまに彼女の名前や写真を目にする機会がありました。

気になったので調べてみると、とても魅力的で、すごい人物だとわかったんです。

 

シュリ・アーナンダマイー・マーとは

”至福に浸る聖母”と呼ばれた、インドの聖人です。

ヨガの名著『あるヨギの自叙伝』で紹介されています。

 

この本の中にある、アーナンダマイー・マーの言葉です。

『 このかりそめの肉体を自分として意識したことは一度もございません 』

この一文を読んだ時、ヨガ哲学で学んだことを思い出しました。

肉体を”私の体”ではなく、”この体”と表現している一文もあってグッときたんです。

その理由は、この後お話ししますね。

 

プルシャとプラクリティ

ヨガ哲学で学んでいる、プルシャプラクリティ

プルシャとは、純粋な意識、真我。

変わることのない、私たちの本質です。

プラクリティとは、プルシャ以外のすべて、物質。

変化し続けるものです。

 

私たちの、心と体はプラクリティ。

変化し続けるものです。

今まで、自分の肉体を ”私の体”と言葉にしてきたけれど、体は私ではなかった。

なので、アーナンダマイー・マーが、”私の体” ではなく、”この体”と表現していることに、ちょっと感動したんです。

 

 

 

アーナンダマイー・マーの教え

さらに興味が湧いたので、『シュリ・アーナンダマイー・マーの生涯と教え』を読んでみました。

肉体はあるものの、人間としての個人的体験など、まったく必要としていない。

ただ、純粋な意識として存在している。

そう感じました。

 

体現することで、私たちにとって真実は同じであることを教えてくれているようです。

自分の本質に気づき、プルシャとして生きなさい、と言われているみたい。

聖人と言われる方は、私たちを真実に気づかせるために、存在しているのでしょうか…。

 

聖者のダルシャン

今から8年ほど前、インドの聖者のダルシャンを受けたことがあります。

ダルシャンとは、聖者から祝福を受ける儀式です。

内側から溢れる、圧倒的な美しさに魅せられました。

この時ばかりは、外側を飾ることに何の意味があるんだろう…と本気で思ったほどです。

優しい眼差しを思い出すと、今も心があたたかくなります。

とても貴重な体験でした。

アーナンダマイー・マーにも、お会いしてみたかったです。

 

最後に

プルシャとプラクリティを同一視することで、悩みが生まれると言われています。

変化することを受け入れ、楽しむことが出来たら最強ですね。

執着から解放されて、自由でいられる。

 

『何が起ろうと、それは大したことではない』

From: アーナンダマイー・マー